いぬの看板<特別編・その29/エピローグ>
数回にわけてアップしてきたN暗K太氏の『犬のかんヴぁん』 Voyage of my dog sign ~埼玉県東部地域編~がこれですべて終了した。
三度目の彼からの報告だったのだが、それぞれパターンが異なるうえ、初めて見る「犬の看板」もあって、私にとっても非常に新鮮で驚きに満ちた体験だった。
街中をふらついて「犬の看板」を探していると、自分が一体何をしているのか意味がわからなくなる瞬間にたびたび襲われる。数時間歩き回っても見つからない時はなおさらだ。
(ちなみに、行田市と熊谷市はどちらも三時間ほど歩いたが、一枚も見つけることができなかった経験がある)
そんな風に自分の行動に懐疑的になりつつも、どうにか歩みを進めていけば、新しい「犬の看板」と出会えるかもしれないし、実際に「犬の看板」に出会えると、そのモヤモヤは一気に払拭され、カタルシスが訪れる。
ああ、ここまで来て本当によかった。
その感慨は人生を肯定する感覚と酷似している。それは自分自身に無理矢理言い聞かせて手に入れたものではない。「犬の看板」という外部の事物によってもたらされる、力みのない明るさをともなう知覚だ。
資本主義を軸にした世界では楽しみを得るためには相手に金銭を渡すのが筋だろう。おいしい食事や娯楽を享受したいと望む時、私はいつも財布の中のお金のことを気にかけている。
でも「犬の看板」を探している時、私は財布のことをすっかり忘れている。日常の先にある非日常の中でたしかに自由になっているのだ。
生まれてからこのかた、何一つ良いことはなかった。泥水だけをすすって生活を重ねた私の人生の中で、これほどはっきりと輝く希望は他にない。
ああ、日本のどこかに私を待っている犬がいる。
その想いだけで今日も私は生きていける。
というわけで、今回の特別編もこれにて終了。
次回からはまた市区町村名だけを添えた犬の看板画像をアップしていきます。